こんにちは!フルート奏者、アレクサンダーテクニーク教師の岡本元輝です。
「音楽を表現しようとすると身体に余計な力が入る」
これはアレクサンダーテクニークを学ぶようになってから気がついた僕の手強い習慣です。
いま絶賛取り組んでいる僕の大きな探求テーマです。
なぜこういった体の反応が起こるのかを考えてみると、いろいろなことがわかりました。
この記事ではそれらをドーンとさらしていこうと思います。
表現に正しさを求めると苦しくなる
僕にとって音楽を表現するときに邪魔しがちな思考習慣があります。
特にオーディションやコンクールで演奏する予定の曲を練習しているときによく起こります。
それは「表現することに正しさ、正解を求めようとする思考習慣」です。
簡単に言うと「この曲はこうやって演奏するべきなんだー!!」と思いすぎてしまうんですよね。
「正しく演奏しなきゃ」「こうあるべきだ」みたいな思考をしすぎると演奏のアイディアも狭まってしまうんです。
限られた窮屈な枠のなかで演奏している感じ。
算数みたいに正解は1つではないと頭では理解しているのですが、僕は正解を求めてしまうんです。
そして「こうやって演奏したい」と思って方向性が定まったとしても、それが「しなければならないもの」になると僕の場合途端に苦しくなるんです。
なぜこういう思考習慣が身についたのかを考えていくとあることがわかりました。
評価されることがこわい
表現に正しさを求める思考習慣はいつ頃からだったか思い返してみました。
思い返すと、フルートを積極的に取り組むようになってコンクールなどに参加するようになってからでした。
コンクールに限らず試験やオーディションは自分の演奏が評価される場所ですよね。
表現することに正しさを求めてしまうのは、コンクールやオーディションで「認められたい」という承認欲求が自分の中に強くあるからでした。
きっと誰しもこういう気持ちはあると思うんですけど、ここにもう1つ演奏を邪魔する思考が隠れていました。
それは認められたいと思う反面、認められなかったときのことが「こわい・否定されたくない」という思考です。
だから表現に正しさを求めてしまい、表現する楽しさや自由度をどんどん奪っていくんです。
評価されることがこわいから。
自分の表現したものを否定されることがこわいから。
だから自分は「こうやって演奏したい」という気持ちよりも「正しさ」を優先して演奏しようとしているんだとわかりました。
自分で自分の音楽を認めることができないから、正しさを求めてしまう。
僕は自分の音楽と表現を否定しているということにも気が付きました。
誰のために演奏するの?
以前順子さんのレッスンを受けたときに
「げんきくんは誰のために演奏するの?お客さん?審査員?別に聴いてくれる人のために演奏しなくても私はいいと思ってるんだよね。本番で演奏するのってこれまで練習してきた自分へのご褒美だと思うんだよね。だから本番の日まで練習してきた自分のために演奏したら?」
と言われました。
その瞬間スッと心の力が抜けました。
このあと取り組んでいた曲を通したら涙が出ました。
誰のためでもなく、ただ自分のために演奏する。
この曲をただ楽しむ、いい曲だなと味わいながら演奏する。
こうやってしなきゃダメっていう思考が一切なくなって、安全だと思える場所で自分の軸に戻ったからこそできた演奏でした。
さいごに
みなさんは誰のために演奏していますか?
聴きにきてくれるお客さんのため、という人が多くいらっしゃるのではないでしょうか。
もしそれが僕のように負担になっている人がいたら、ぜひ自分のために演奏してみてください。
僕にとって演奏と同じように評価を気にしてしまうものがあります。
それはソーシャルメディアです。YouTubeやTwitter、そしてこのブログです。
2021年はブログ、Twitter、YouTubeは「自分のために・自分らしく」をテーマに気楽にやってみようかなと思います。
いまも自分の考えとか否定されたくないなーなんて思いながらこうやってブログを書いています笑
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