こんにちは!ハマっ子フルート奏者、アレクサンダーテクニーク教師の岡本元輝です。
コロナの影響で非日常の生活を急にする必要に迫られた4月、5月。
6月末の今、少しずつ街に活気が戻ってきましたね。
僕はこの自塾期間中、約1ヶ月ほど姪っ子のシッターをしていました。
この1ヶ月は僕にとって「たくさんの発見と学びの連続」でした。
2歳4ヶ月の姪っ子と遊んでいると、「子どもにはたくさんの可能性があること」、「成長の瞬間」を間近で見ることができました。
そして姪っ子の遊ぶ姿を見ているうちに
子どもは「試行錯誤(trial and error)」と実験の天才なんだ!
と気がつきました。
試行錯誤と実験、小さなステップの積み重ね
姪っ子はパズルがすごく得意です。
ですが、最初から得意だったわけではありません。
1歳のころからピースの少ないもので遊びはじめて、今は80ピースのパズルをスラスラとできるようになりました。
少ないピースのものから、数の多いピースのものという、「小さなステップ」を積み重ねてきたんです。
成長とともにおしゃべりも少しずつできるようになって、いまはパズルをしながらおしゃべりをします。
その姿を僕は観察していました。
姪っ子は
「これはどこかなー??、どこかなー?こっちかなー?どっちかなー??」ってぶつぶつ言いながらパズルをしています。
おしゃべりをしながらピースをいろんな方向ではめようとしていることに気がつきました。
パズルのピースで実験を繰り返していたんです。
行き詰まるときももちろんあります。泣きそうになるときもあります。
でもあえて手助けはあまりしません。
「このピースがどこにはまるのかゲンゲンに教えて?」って言うようにしてます。
ピースがうまくはまったら「できたー!」と喜ぶ姪っ子の姿。
一緒にハイタッチして喜びを共有します。
姪っ子は1つの成功、成長に心から喜んでいました。
この姿に僕は感動しました。
姪っ子は無意識に試行錯誤を繰り返し、実験しながら遊んでいるんです。結果的にパズルがどんどん上達していきました。
遊んでいる姪っ子を見ていると「正解や失敗」といった概念はないと僕は思いました。
「ここじゃないねー、これじゃないねー」って言いながら楽しそうにしているんです。
繰り返しパズルで遊んでいるうちに、、今ではパズルの形とか絵柄を覚えているみたいに迷わずスイスイとピースをはめていくようになりました。
この姿を見て僕は、これが「何かを身につけるプロセスで大切なことなんだ」と目の前で見せつけられました。
ほんのしでも成長を感じたらよろこび、認めること
さて、私たち大人はどうでしょうか。
何か新しいことに取り組みはじめて、ほんの少しでも成長を感じたとき、成功体験を経験したとき素直に喜べていますか?
認めることができていますか?
「こんなのは成長、成功とはいえない。理想とするものには程遠い、まだまだだ!」
と自分に言っていませんか??
「はじめたばかりなのに目標とするレベル」でできるようにしようと思っている人にありがちな考え方です。
ポケモンで焦ってレベル上げをしないでボス戦に挑むとボロ負けしますよね。それと同じです。
自分自身のレベル上げを必要があるんです。
ポケモンは目に見えて数字でレベルがわかるけど、自分自身は数字では分かりません。
だからこそ、自分の成長や成功体験を素直に受け入れて認めていくことが自分自身のレベルアップにつながります。
僕は自分のことになると「レベル上げを認めること」ができません。
なので取り組みはじめたことが長続きしない、それで諦める、、、をたっくさん繰り返してきました。
ブログとか、語学とか、筋トレとか。あげはじめたらキリがないです。
諦めてしまうのは「自分の思うような結果」が得られていないことと、理想が高すぎるのが大きな原因です。
突然変異が起こらない限り急に英語がペラペラになるわけでもないし、筋肉が付くわけでもない。
フルートの技術的なものも、音楽の表現も、曲を仕上げるプロセスも全く同じ。
「こうありたい。こうなりたい」と思うのであれば、そこに至るために必要な小さなステップを積み重ねて、成功、成長を認めよう。
ほんの少しでもいいんです。
「昨日よりも音が出しやすくなったな」でもいいし
「ブログを下書き書いた」でも
なんでもいい。
ちょっとずつの積み重ねと継続力が自分を育てます。
焦りは禁物ってよく言いますが、まさにその通り。
焦る気持ちもよーくわかる。なんとかしたいからこそ焦るんですよね。
でもたまには気長に取り組むのも必要です。
何かを身につけていく過程には「失敗」という概念は必要ありません。
取り組んだこと全てに意味があります。
迷ったとき、行き詰まったときは無邪気に遊ぶ子どもたちの姿を思い出して元気をもらいましょう。
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